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ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒は共存できていた

2015年07月01日

                                         古賀 賢次
はじめに
 2010年から2012年にかけて独裁政権を相次いで崩壊させた「アラブの春」は中東・北アフリカに民主化と安定をもたらすと期待された。しかし独裁政権が無力化した地域でイスラム過激派組織が急速に勢力を拡大することになってしまった。 また国境を越えて異教徒と闘うことを呼びかけるグローバル・ジハード(聖戦)が広がり欧州など世界各地でローンウルフ・テロ(単独犯)も頻発している。そこでイスラム過激派組織はなぜテロを起こすのか、その原因を探り今後を展望する。もう一つは最近のテロ事件を受けて企業の危機管理の向上である。

2013年1月に起きたアルジェリア人質襲撃事件で日本企業の10人の社員が殺害された。今年2月1日、イスラム国(IS)は湯川さんと後藤さんを殺害したことをインターネット上に流した。さらに3月、チュニジアで3人の日本人観光客もイスラム過激派組織に殺害された。これらの事件は日本政府並びに企業のテロ対策への意識を大きく変化させた。官民は連携・協力して、安全確保のために取り組みをより一層強化していかねばならない。その前に歴史的アプローチからテロ活動を見てみたい。

1.なぜ文明の衝突は起きるのか?
 1993年国際政治学者のサミュエル・ハンチントンが「文明の衝突」について論文を発表した。彼は文明が衝突するのは必然とし、なぜ衝突するのかを説明せず、「違い」が衝突をもたらすとした。彼は著書で「西欧とこれら他の社会との間の問題は、国際的に解決すべきますます重要な案件になっている。このような問題について、西欧のなすべきことは三つある。
(1)核兵器、生物兵器、化学兵器、とそれを着弾させる手段について、不拡散、反拡散政策を通じ
   て、自分たちの軍事上の優位を保つこと。
(2)西欧が考えるような人権尊重と、西欧的な民主主義を他の社会に強制して、西欧流の政治的価値
   観と制度を売り込むこと。
(3)非西欧人の移民や難民の数を制限して、西欧社会の文化的、社会的、民族的な優位性を守ること
   である。」と述べている。
 しかし「これら三つのすべてについて、西欧が非西欧社会から自分たちを守るのは、これまで難しかったし、今後も難しいだろう。」と論じている。

2.オスマン帝国時代(1299年~1922年)はユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒は共存・共生できていた
 最初の宗教間の争いは「十字軍」であった。第1回の「十字軍」が1099年にエルサレムを占拠し、多くのイスラム教徒やユダヤ教徒の住民を虐殺し、エルサレムはキリスト教の町となった。その後1187年、急成長を遂げるイスラム教の勢力にイエスの墓があるエルサレムを占拠された。当時のローマ法王は「聖地を取り戻そう」と呼びかけ、十字軍を派遣した。キリスト教勢力が勝利したのは最初の1回だけで、約200年に及んだいくつかの十字軍国家は1291年に全滅した。その後オスマン帝国時代に入っていくことになる。

パレスチナは長い間オスマン帝国の支配下に置かれていた。オスマン帝国が最も版図を拡大したのは17世紀後半であった。同じ「唯一神」を信じながらユダヤ教徒、キリスト教徒そしてイスラム教徒が共存できていた。その主たる要因は、オスマン帝国下ではイスラム教という大きな枠があるとはいえども多種の宗教が許容され、各種民族が生活しており、言語も多種にわたった。異なる宗教にも関わらず安定したのはオスマン帝国において公認された宗教共同体、ミレット制であった。このミレットに所属した人々は人頭税(ジズヤ)の貢納義務はあったが、各自ミレットの長、ミレット・バシュを中心に固有の宗教法、生活習慣を保つことが許され、自治権が与えられた。623年間に及ぶオスマン帝国支配下の時代は民族よりも信仰が優先され平穏な時代であった。

3.第一次大戦から中東問題が始まった
 イギリスは第一次世界大戦(1914年~18年)でオスマン帝国を攻撃したが戦争の資金繰りに苦しみユダヤ人財閥ロスチャイルドに資金援助を依頼した。それと引き換えにパレスチナの地にユダヤ人の国を建国することを約束した。それまで支配していたオスマン帝国に代わり、イギリスがパレスチナを占領統治し、ユダヤ人のパレスチナ移住がイギリス主導で進められた。ユダヤ人が入ってきたことでアラブ人(パレスチナ人)が追い出された。

ユダヤ人は次に第一次世界大戦後、米国の影響力が強まる中でイギリスではなく米国に積極的に働きかける。第二次世界大戦が始まりナチスのユダヤ人迫害が本格化すると、ユダヤ人はルーズベルト政権への巨額の資金提供と引き換えに、パレスチナでの正式なユダヤ人国家建国の支援を約束させた。第二次世界大戦後の1948年に、ついにユダヤ人国家イスラエルが建国された。一方、アラブ人は周辺の地域へ強引に追い出された。こうしてユダヤ人とアラブ人との紛争が本格化し、それが今日まで続くことになる。

4.「イラクとレバントのイスラム国(ISIL)、自称「イスラム国(IS)」の登場
 2003年3月米英が大量破壊兵器保有の疑いでイラクを攻撃した。わずか2カ月間の戦いでフセイン政権は崩壊した。翌2004年10月からイラクのアルカーイダ(AQI)(初代指導者ザルカウィ)と名乗る武装集団がイラク西部を中心にテロ活動を開始した。2006年からは組織名を「イラクのイスラム国(ISI)」に改称してイラク国内で駐留米軍及びイラク政府・治安部隊を標的とするテロ活動を行った。2006年5月、新憲法下で正式な国民議会選挙が実施され、ヌーリー・マリキがイラク正式政府首相に就任した。2007年(~10年頃)は米軍ペトレイアス将軍のリーダーシップでイラクは安定したことから、2011年12月、米軍は完全撤退した。

その後治安維持のために雇用していたスンニー派の人々約10万人をマリキ首相は解雇したため大量の失業者が発生した。スンニー派の人々は年金や恩給も取り上げられ生活は生き詰まってしまった。社会機能はマヒ状態に陥った。スンニー派の間で不満が渦巻き、シリアで成長したスンニー派系過激派「イスラム国」の勢力も接近した。その結果、イラク・シリアにまたがるイスラム過激派の巨大勢力が誕生し、イスラム教の主流のスンニー派と傍系のシーア派による抗争に発展していくことになる。 2014年9月、イラクは混乱を続けたため、シーア派のマリキ首相からアバーディー新首相に代わった。2013年4月、過激派組織はこれまで活動を行っていたイラクから内戦が激化するシリアへの進出を発表するとともに,「イラクとレバントのイスラム国(ISIL)」設立を宣言した。

この後,シリア反政府勢力内部での対立を経て,2014年2月、アルカーイダ中枢から絶縁されるに至った。同年6月、指導者バグダーディーを「カリフ(全世界のイスラム教徒の指導者)」とし,「イスラム国(IS)」の樹立を一方的に宣言した。ISは,米国を始めとする「有志連合」によるIS への攻撃を批判するとともに,欧米など世界の(スンニー派)イスラム教徒に対して,米国,フランス,オーストラリア,カナダを始めとする対ISIL連合諸国の国民を軍人,民間人問わず攻撃するように扇動する声明を発出した。同年11月、指導者バグダーディーはアラブ5カ国(エジプト,リビア,アルジェリア,サウジアラビア,イエメン)の組織からの忠誠を受理し,これら諸国に新州を置くと宣言した。

また,これら5カ国で活動可能であることを示唆した。今、イラクのアバーディー政権はイラク軍、シーア派民兵、スンニー派部族及びペシュメルガによる共同作戦を展開してISに奪われた領土を奪還すると同時に「不当・不公平」に扱われていると感じるスンニー派の要求への対応、そしてクルド人との信頼関係を構築しシーア派主導政府によるクルド人及びスンニー派との協調・協力関係をつくり、国民和解を急ぐことが主要課題となっている。

 他方、2011年3月、シリアでも民主化要求運動が起きた。シリアの人口の約7割がスンニー派、国を支配しているのはアラウィー派といわれる人々で、アサド政権は人口比で1割程度の少数派である。従って民主化して普通選挙を実施すれば当然1割のアラウィー派は権力を失う。反アサド勢力が権力を握って自分たちが仕返しされる。それを避けるために政権は徹底的に改革派を弾圧している。アサド政権は軍隊を出動させ国民に銃を向けデモ隊を弾圧するしかなく現在も内戦状態にある。

アサド大統領は自由シリア軍ばかりを攻撃しイスラム国と真面目に戦ってこなかった。西側も民主主義を求める軍人、自由シリア軍を支持していたし、トルコもアサド政権と闘うのであればよしとして国境を管理しなかった。イスラム国は、シリアの混乱に乗じて、アサド支持派や国際社会から放っておかれた間に力をつけた。イラク・シリア両国において敵対勢力が失策や思惑によって沈み込み、イスラム国は浮上したといわれている。

5.ISはなぜテロを世界に拡散するのか?
 一つ目はサイクス・ピコ条約に基づく現在の中東諸国の国境線を否定することである。
イラクやシリアはもともとオスマン帝国の一部であった。戦後、戦勝国のイギリス・フランス・ロシアがオスマン帝国の領土を分割し、オスマン帝国は解体された。大戦中の1916年に秘密協定「サイクス・ピコ協定」で取り決められた。問題だったのは、領土分割にあたってイギリスとフランスの利権ばかりが優先し、部族や宗派への配慮はほとんどなかったことである。そのためイラクは、北部はクルド人、シーア派、スンニー派の3つ勢力が混在することになってしまった。イラクは無理やり国境線がひかれた。これを否定し第一次世界大戦前の地域の形に戻すことを目的としている。

 二つ目は異教徒を敗北させることである。イスラム国は、13世紀に遡る古い預言書を収蔵しており、その中には、北部シリアで異教徒との最終的な戦争が起こり、異教徒を敗北させるとの予言がある。イスラム教徒は、聖戦で死に天国に行くか、生き残って神聖な理想郷に生きるか、いずれにしても勝利者になると予言されている。この予言が、イスラム国では広く受け入れられている。イスラム国は、世界最終戦争のために、十字軍をシリア北部に呼び込み、予言どおり戦争を起こし勝利することを願っているとも伝えられている。そのために、意図的に捕虜を惨殺し、あるいはテロを起こすなど、欧米を執拗に挑発しているとの見方もある。

 三つ目としてテロの脅威を世界に広め、日本も標的にすることである。今年1月20日にISのビデオ声明の中で、「アベ(安倍晋三首相)、お前の国民がどこにいようとも虐殺をもたらすだろう。日本の悪夢が始まる」と脅迫した。空爆などで攻撃する有志連合以外の国々にもテロの脅威を植え付けている。もちろんこれまで2003年10月にアルカーイダ幹部を名乗る人物がインターネット上で日本も攻撃の対象になると声明を発表し、2004年3月、スペイン・マドリッド列車爆破テロ後、イギリスのアラビア語紙に届いたアルカーイダの犯行声明の中で、欧米と共に日本が名指しされた。2008年4月、当時アルカーイダのNo.2であったザワヒリが、「米国の同盟国である日本も攻撃対象である」とする声明を発表した。

6.外務省は企業に海外安全対策の向上を求める
 2月1日、ISによる湯川さんと後藤さんの殺害のビデオ声明を受け、同日付けで、外務省は、渡航情報(広域情報)、「ISILによる日本人とみられる人物の殺害を受けた注意」を発出した。外務省はISIL関連の一連の事件で企業に「海外安全対策の向上」を求めた。それは次の4つのポイントである。
(1)駐在員・出張者への注意を喚起すること
(2)非常事態の場合の各人の、対応、行動について再確認
(3)現地情報の収集と共有
(4)出張・渡航の前に、外務省のホームページを確認する
ある専門家は「企業は危機管理上、次の3つの弱点がある」と厳しく指摘している。
(1)リスクを過小評価し、回避の努力も備えも中途半端な状態に陥る。
(2)実際に起きた危機をすぐに忘れ、教訓が浸透しない。
(3)とるべき対策が遠大だと、長期間かかっても断行しようと考えず、達成をあきらめてしまう。
 企業はこの機会に企業内の危機管理組織体制の強化と海外安全対策担当のスキル・アップを目指さねばならない。そのチェックポイントは次の5点である。
 (1)本社に海外の安全・危機管理を担当する部署はあるか?
 (2)その部署は、本当に機能しているか?
 (3)情報を収集し分析する能力はあるのか?
 (4)安全対策の企画・立案能力はあるのか?
 (5)担当者のスキル・人材育成は十分か? 
 グローバル企業は政府の指示を待つことなく危機管理・安全対策を更に強固にして社員の安全配慮義務を果たしていかねばならない。

おわりに
 我々日本人は中東情勢をよく理解する必要がある。イスラム教とはどのような宗教なのか。多くのイスラム諸国はなぜイスラエルを敵視しているのか。シリアの内戦はなぜ終わらないのか。ISはなぜ生まれたのか。日本はどれほどエネルギーを中東に依存しているのか。今後日本国内でもイスラム過激派組織によってテロが起きるかも知れない。イスラム世界を異質なものとして忌避するのではなく、理解をすることからすべては始まるので、日本政府もメデイアも過激派組織によるテロ発生の真の原因を可能な限り明確にしてテロ情勢をきちんと国民に理解せしめるべく広報活動が大事である。

 日本はこれまで中東諸国との間で独自の外交を展開し、良好な関係を築いてきた。それは日本人として誇るべきことであり、今後も最大限発展させていかねばならない。日本政府は中東の安定と繁栄に向けた外交強化策の一つとして総額2億ドルの人道支援を拡充していく方針だが、どのような支援をして行くのか、国際社会にもしっかりと広報活動を展開していただきたい。
日本はテロに負けない社会、テロリストを生み出さない社会づくりを側面から地道に支援していくことが重要である。紛争や貧困、脆弱な統治機構といった世界の不安定要素を取り除くことがひいては日本の平和と安定につながっていくので、日本は対テロ活動で欧米にない中立的スタンスで役割を担い、日本の強みを活かしたテロ対策を推進していかねばならないと考える。

 最後にサミュエル・ハンチントンがいう「西欧とこれら他の社会」との対峙ではなく、国際社会はオスマン帝国時代に互いに異教徒であっても共存・共生できた時代を今一度認識し、歴史から学び合いたいものである。国境のない空のように世界の人々の平和と健康と幸福を祈ってやまない。 
(筆者は、NPO法人海外安全・危機管理の会理事)

参考・引用文献:
・サミュエル・ハンチントン著 「文明の衝突」 集英社
・同著 「文明の衝突と21世紀の日本」 集英社
・井沢元彦著 「ユダヤ教、キリスト教、イスラム教集中講座」 徳間書店
・森孝一(編) 「ユダヤ教・キリスト教・イスラームは共存できるか」 明石書店
・エマニュエル・トッド・ユスフ・クルバージュ著 「文明の接近」 藤原書店
・アミン・マアルーフ著 「アラブが見た十字軍」 リブロポート
・山本七平・加瀬英明著 「イスラムの読み方」祥伝社新書 
・鈴木薫著 「オスマン帝国」 講談社現代新書
・池上彰著 「池上彰の宗教がわかれば世界が見える」 文春新書
・池上彰著 「第4弾 池上彰が読むイスラム世界」 株式会社KADOKAWA
・高橋和夫著 「イスラム国の野望」 冬舎新書
・公安調査庁発刊 「国際テロリズム要覧」2015
・2015年3月14日発行 週刊東洋経済 「テロと戦争」
・2015年Wedge3月号 『西欧とイスラム「原理主義」の衝突』
・2015年3月24日発行 週刊エコノミスト「日本人が知らない中東&イスラム教」
・2015年4月4日発行 週刊東洋経済 「世界史と宗教」
・外務省海外安全ホームページ  など

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